第1話 冒険の仲間たち
過去編
─1997年
明日から夏休みが始まる
夏休みになれば何かとんでもないことが起こるんじゃないかとやけに高揚したものだが、何もないままに九月を迎えるのが恒例だった
でも、今年こそ何か違うような気がする。
毎日たくさんの教科書やノートを詰め込み、もう6年目の付き合いとなったボロボロの黒いランドセルの中も今日はほとんど空で、直哉はいつもより軽い足取りで学校へ向かっていた。
宝の地図
そんな直哉の足を止めた老婆の呼び名の由来については、「いつも"道"に突然現れるから」とか「“未知"のババアだから」だとか、それぞれが勝手なことを言っていた。だから、いろんな説があるけど、誰がいつどこでつけた名前なのかは誰も知らない
直哉の5歳上の兄が小学生のときにはすでに「ミチババア」の名が定着していたらしく、とにかく、このへんでは名物ババアとして長年にわたり名を馳せていた。
そのミチババアに「宝の地図」なんて称された黄ばんだボロの紙切れを渡された直哉は、すでに思考の主導権を冒険心に奪われている。
「汽車でタマガワグツって駅まで行っでな、ずーっと歩ぐんだよ。」ミチババアは地図に書かれた「サワネ」という場所へたどり着く方法についてを直哉に話し始めた。「んで、枝分がれしたツッチャイ道に入っでがらは険しぐなるから気ぃづげで、トンネルを2つ抜げで、橋を渡った先が、その『サワネ』だよ。
濁点が付けられたようなその独特な話し方は、鼻から声が出てるんじゃないかと思わせるものだった
直哉は何度も聞き返して得た「サワネ」に関しての情報を、モンスターによって大半が埋められた自由帳の空いたところに書いた
たまかわぐつ駅からずっと歩
つっちゃい道に入
トンネルを2つ通る、はしをわた
そのページを破ると、その裏にも何体かのモンスターが落書きしてあるのが透けて見えた
まるで冒険の書のようだった
直哉はそれから学校に着くまで、冒険の書に光に当てては、モンスターを出現させた。
学校で
しかし、宝の地図も冒険の書にも、何もピンとくるものはなかった。直哉は教室に入り自分の席に座ると、もう一度その黄ばんだ紙とまだ白い紙を見比べるのだが、もっとヒントが欲しかった
すると、前の席に男子児童が座った
―こいつだ。いつも本を読んだり勉強してる。こいつが冒険のヒントを教えてくるキャラクターなんだ。しかも、メガネだし
直哉はすでにRPGの主人公の気分だった。Aボタンを押す
「なあなあ!『タマガワグツ』って駅知ってる?」肩を数回叩きながら声をかけると、メガネの男子は一瞬ビクッとなりながら振り向いた
「な…何て駅?もう一回言ってもらえるかな。
メガネの奥にある目と視線が合った瞬間、直哉はその顔にあるメガネ以外のパーツを初めて認識した気がした。直哉がもう一度駅名を繰り返すと、メガネの男子はブツブツと話し始めた。「タマ…京王線乗って、少し西に行ったあたりかな。JR線でも小田急線でもそんな駅はなかったような気がするけど…。いや、モノレールかもしれないし。」直哉には話の内容はよくわからなかったけど、そのメガネの奥にあるであろう分厚い本のページをめくる音が聞こえた気がした。だからこっそりこう話した
「おまえにだから話すんだけど、その駅の近くに『サワネ』っていう場所があって、そこにどうやらお宝が眠ってるらしいんだ。オレとおまえだけの秘密だから、絶対誰にも話すなよ。」
友達
小学生とは言え、もう6年生だ。ちょっと思考が幼いんじゃないかと怪訝な表情もしながら、実はクラスメイトと初めて秘密を共有したことのほうが彼にとっては重要だった。「鈴木くん、僕秘密守るよ。
「鈴木じゃなくて直哉って呼べよ。」初めてできた友人から返ってきた言葉は、全く予想していないものだった。「うちの学年、鈴木っていっぱいいるじゃん?
思わぬ横槍が恥ずかしいような気がして俯いてしまい、だけど、メガネの奥にある目が細くなるのを、そして口角が上がってしまおうとするのをちょっとだけ我慢した
「そういえば、おまえは何て呼ばれてんの?」学校では授業中くらいしか名前を呼ばれることがなく、すぐには答えられなかったが、物心ついてからずっと呼び名があることに気付いて答えた。その後の会話で直哉が度々「しげちゃん」と呼びかけるので、どうしてもメガネの奥にある目は細くなり、そして口角は上がってしまうのだった。
「直哉が持ってるその…宝の地図?ずいぶん古いものだよね?手書きだ。
「ああ、ミチババアから渡されたものだからな。」直哉は誇らしげだった
「ミチババアって、あの、いつもこの辺うろうろしてるおばあさんのことだよね?」しげちゃんは、そんなのを信じるものかなと訝しげに確認した
「すごいババアのものだから、すごい古いに違いないぜ。」直哉の言葉は説得力のかけらもなかったが、しかし、そんなのはしげちゃんの調べたいという欲求を止められるほどのことではなかった。
「タマガワグツ駅は知らないんだけど、家で調べてみるよ。」どうやら、しげちゃんは電車が好きなようで、自宅にはそういう関連の本もたくさんあるらしい。「すげえ!オレもしげちゃん家、行ってもいい?」直哉は当然のように反応するが、しげちゃんにとっては新鮮だった。
チーム構成
「せっかく夏休みだしさ、サワネの場所がわかったら2人で行こうぜ!電車乗って冒険の旅に出るんだ!そう、家出計画をしよう!」と直哉が発した言葉の中で、二人は『電車』、『冒険』とそれぞれの興味に心を踊らせたが、しげちゃんも少し引っかかった『家出』と言うワードに惹かれた人物が隣の席から反応を返した。「さっきから面白そうな話してるじゃん。私も行くよ。」澄んだ綺麗な声だが、話し方はいたずらっぽい
「鈴木さん…」としげちゃんが怯えるような様子で直哉のほうに視線を逃がすと、「鈴木じゃなくてリサって呼べよ。」とリサ本人じゃなく直哉が言って、そしてこう続けた
「そんでさ、これは男の冒険なんだよ。おまえは関わらない方がいい。
先生が教室に入ると、終業式の行われる体育館に向かうために廊下に整列するよう呼びかけた。立ち上がると、リサは男子二人を見下ろした。と言っても、直哉よりほんの三センチ高いだけだったし、しげちゃんにいたってはリサのほうが二センチ低かった。それでも威圧的だった
リサは、とにかく強い。
腕相撲は誰もが勝てず、あまりにも周りが弱すぎるという理由で高学年になってからは闘いを申し入れなくなったようで、殿堂入りのチャンピオンと言われている
隣のクラスのいじめっ子をボコボコにしたこともあるし、さすがに嘘だと思うが、強すぎて父親を殺してしまったなんていう噂話まであった。
「しげちゃん、オレが勇者なら、おまえは賢者で、そうすると、もう一人闘えるようなやつがほしいと思わない?
しげちゃんはゾッとした。
廊下に向かいながら、直哉はリサに話しかけた
「なあリサ、オレら鈴木仲間じゃん?
よくある名字で仲間扱いされたリサは呆れ気味だったが、先ほどの話が気になった。「あのさ、なんで『家出』なの?
「母さんに宿題のこととかアイスは1日1本までとかいろいろ言われるの嫌だろ?
直哉の返答にさらに呆れたリサだったが、ニヤリとした
「やっぱり私も行くよ。直哉は子供だから保護者が必要でしょ?
直哉はいろいろ言いたいことはあったが、静かに移動するよう先生に促され、叶わなかった。
学校全体での終業式が終わると、大掃除をしたり、通知表なんかを受け取ったり、その後は先生から休み期間中の注意事項について―もちろん「子供だけで学区外に行かない」なんてことも含まれる―話があったりする。その日は半日ながら子供たちにはとても長く感じるものだった。
始まりの、始まり
各教室から帰りの会の挨拶が聞こえ始めると、靴箱のある玄関に向かう児童たちでしばらく階段も廊下もごった返した
直哉はいつもの友人たちに声をかけられると「今日は一緒に帰れないんだ!」と答えた。全員が不思議そうな顔をしたが、夏休み中に行われるプール授業の初回の日を確認すると「じゃあ、またそんときな!」と帰って行った
教室には直哉としげちゃんと、それからリサの三人が残った。
しげちゃんが5年以上通っている通学路も、この三人で歩くのは初めてだし、こんな日がくるとは思ってもなかった。リサのことは最初は警戒したが、徐々に、直哉よりもむしろリサの方が自分と近いものがあるんじゃないかとすら感じるようになった。直哉の通知表を見ると「こんなに『もう少し』だらけになる?全然少しじゃなくなってるじゃん。」と笑うので、意外と自分と同じような反応が少し親近感を持たせたのだ。
「あ、ミチババア。」学校を出てから最初の角を曲がり、数歩のところでリサが気付く
「なあ、この地図なんだけどさ…」直哉は駆け寄ると、今朝受け取った地図を元の持ち主に見せた
「なんだそのゴミ。汚ねえなぁ。」ミチババアはそう言うと近くの民家に入っていった。三人は無言ながらまた歩き出そうとするとババアの家族とすれ違い、行方を訪ねられたのでその家を指差すと慌てた様子でインターホンを押していた。
直哉でさえも、両手で広げたままのボロボロの落書きのほうに視線をやると、意識はしなかったが、眉間にシワが寄っていた
「真相はわからないけど、うちに行こうか。」意外にも沈黙をやぶったのはしげちゃんだった。