第1話 リグレットゲージ
広い空間
「まずは、あなたを少し自由にしてあげます。」
やっと視界が開けたがそこは寝室ではなかった。周りを見回しても何もない。空間の終わりすらなく、何色でもない。明るいか暗いかで言っても、明るくも暗くもない。浮いている感じもないのだが、地面も床もない。
ただ、自分が存在しているのと、目の前に人が立っているだけだ。
「もしかして死んだのか、オレ…」
「死んではいません。でも、今現在の状態は生きてるとも言いません。」目の前の人物は足元まで丈のあるマントにフードを深く被っているので顔も体型も確認できないが、声は女性だ。
「夢か?今日も平日のはずだ、夢ならもう起きて会社に…」
「今日も会社に行くつもりなんですね?」
大樹はハッとする。「いや、違う!今日は入学式だ!大事な娘の入学式があるんだ。早く起きてまずは謝らなきゃ!」
「ここは、夢でもありません。」
夢だと思いたかったが、確かにもし“夢”と言われたとしても信じないだろうと大樹は思った。そのくらい、夢ではないことが自覚できているのだ。
「死んでるわけでも、生きてるわけでもなくて、夢でもない?それに、あなたは誰なんだ?」
「あえてこの場所を説明するなら、あなたの人生の途中を切り開いた空間です。そして私はこの空間を任された管理者。案内人と言ったほうが役割がわかりやすいでしょうか。」
常識では考えられない説明だが、今の状態を表すのには不思議としっくり一致する感覚だったので、大樹はすんなりと受け入れた。
ここはどこなのか
「オレに何が起こったんだ?案内人がいるってことは、これからどこかに行くのか?」
「はい。今から順に説明します。まず、こちら。」案内人はマントから何かを握った手を出した。指の間からは少しだけ年季の入った金属のチェーンがこぼれている。
ところで、やはり案内人の性別は女性のようだ。手は年齢が出やすいと言うが…年齢は大樹と同じか、少し上だろうか。大樹の前でその手を開いて見せると、手のひらに懐中時計のようなものが乗っていた。
「時計?どこの国のものだろう?見たことのない文字だ。」文字盤はアラビア数字やローマ数字、漢数字でもない。さらに、通常の時計のように12分割で刻まれているわけでもない。
「文字盤には、人間に解読されないよう、私たちが使用している文字が書かれているのです。」
「案内人さんは人間じゃないのか?」
「その質問には正確にお答えするのが難しいです。説明を続けます。」
後悔の視認
その懐中時計のようなものは後ろの蓋がパカッと開くような仕組みになっていた。案内人は蓋を開けて見せ、中身は角度によっていろんな色に見える液体が容量いっぱいにキラキラと輝いていて、液体の奥にある歯車はどうやら止まっているように見えた。とにかく、今までこんなに美しいものは見たことがなく、大樹は思わず手を伸ばした。
「…ダメっ!!!」案内人は叫び、その懐中時計のようなものをマントへ隠した。
「ごめん!中に入ってたキラキラした水みたいなものがあまりにも綺麗で。それと、初めて見たものだけど、なんだか懐かしい感じというか、自分のもののような気がして思わず…」
一息ついて案内人は再び懐中時計のようなものを改めて大樹の目の前に持ってきた。
「これはリグレットゲージ。中に入っている液体は、あなたのリグレットです。」
リグレット
「リグレット…?」大樹は懐中時計の中の液体を見せつけられた。
「あなたは今までの人生にたくさんの後悔をしてきた。小さな後悔、大きな後悔、その全ての出来事がリグレットとしてだんだんとゲージに溜まっていったのです。そしてこのように、ゲージはリグレットでいっぱいになってしまった。」
「オレがしてきた後悔…ネガティブなものなのにこんなに輝いてるなんて皮肉だな…。」
「後悔というのは、経験した出来事をある一面から捉えた感覚でしかありません。リグレットゲージには後悔が感情を伴わない出来事として蓄積されていくので、このリグレットは今までのあなたの後悔を客観的に見たものに等しいでしょう。」今までの案内人の言葉は大樹を納得させるものばかりだったが、この説明ばかりは“後悔した出来事なんて、客観的に見たとしてもそんなに美しいものではないだろう”と否定的になり、その輝きの正体が何なのかまじまじと見つめた。そうしていると、昨日の電話に出たときの記憶が鮮明に脳裏に映し出され後悔が蘇った。
「そうだ、このときオレは違うことを言っていればもっと早く帰れて…」気分がどんどん重くなる。
案内人がリグレットゲージを持つ手を少しだけ傾けて違う角度を見せると、後悔は薄れ、代わりに小学校6年生の運動会でやった組体操練習時の記憶が再生され始めた。「このときオレは…」案内人が蓋を閉めるとその後悔も薄くなり、大樹は暗い気持ちながら我に返った。
後悔ばかり
「説明した通り、リグレットゲージの中の液体であるリグレットはあなたが後悔したときの出来事でできている。角度を変えると万華鏡のように違う出来事が見えるのです。」
「その…リグレットゲージ、満タンになるほど後悔を積み重ねてきたってことなんだな?」大樹は明らかにトーンを落としながら言った。「そうすると、どうなるんだ?オレ、ここで終わりなのか?」
「いいえ。むしろ、ここが新たな始まりとなります。これから、あなたには人生の選択をしていただきます。」